今日は家猫 藤子さんの初めての月命日です
今日は、家猫 藤子さんの初めての月命日です。
〈藤子さんへ贈るレクイエム〉
家猫藤子さんが先月10/29の早朝、天国に召されてから、やっと一ヶ月経過しました。彼女不在の哀しみは、凪の日もあるけど、溺れそうになるときもあります。
尿管結石、慢性腎不全、乳がんという重い病を複数抱えての闘病生活から1年、QOLを維持するため、自壊を防ぐため2時間半の乳癌患部の手術を受けてから半年、藤子さんは健気に頑張りました。最期の2週間は呼吸が苦しそうで不憫でした。
亡骸となった藤子さんの表情はとても穏やかで、まるで眠っているようでした。享年13歳6カ月ー。最後の二週間は傍らにいるのも辛い日々でした。彼女の重い病と戦い生き抜こうとした姿を思い返しながら、今、私の手元には、分厚い『藤子さん闘病日誌』と、スマホには、横たわる藤子さんに感謝の気持ちを語り掛ける動画がたくさん残りました。
4thオピニオンだった主治医の青年医師は、この半年間、優しく寄り添ってくれました。藤子さんが逝った朝、主治医にLINEで報告したところ、
『藤子さんは重い病気を抱えながら、本当に気丈に頑張る猫さんでした。藤子さんが気高く頑張れたのは、中村様の献身的な介護のおかげではないでしょうか。』というメッセージが届きました。ベストな治療を模索し、心身ともに支えてくれた主治医に、藤子さんが、『気高く頑張った』という表現をしていただいたことは、彼女の終末期を伴走した家族として誇らしく思え、哀しみの最中で一筋の救いでした。闘病日誌を読んでくれていた病院スタッフの皆さん、通院時は日誌を見たコメントや、いろいろと励ましの言葉をかけていただきました。お花と共に寄せ書きメッセージが届いたときは、思いがけず、号泣してしまいました。
藤子は本当に「気高く」頑張りました。。13年半、私の日常に溶け込んでいた彼女の存在を失ってしまった事実を認めることは、予想していたよりも難しく、帰宅時、亡くなる数日前も、両前足をフロアで滑らせながら、アシカのように這いずりながら、玄関に迎えにきてびっくりしました。今、もういないのがわかっていても、「ふぅ、ただいまぁ!!」と連呼してしまうのはとても辛い現実です。
奇跡を信じて、PCのパスワードは、「fujiko2021」に変更しましたが、その奇跡の願いは、叶いませんでした。が、地域猫活動の仲間や友人たち、ペットロス専門士の獣医師のN子さんはじめ、グリーフ専門士のお仲間の皆さんから温かい言葉で励ましていただきました。
学校のお仕事の前期終了、秋季休み1週間が始まった朝に逝ってしまった藤子さん、まるで相方の私への迷惑を最小限に留めるように、潔く自分の死期を計算していたように見事でした。お陰で思い切り涙し、弔い、そして、落ち着いて葬儀を行うことができました。
藤子さんへ
あなたとひとまずお別れして、やっと一カ月経ちました。最後の2週間は、乳がんが身体の皮膚の複数カ所に転移し腫瘍化してしまい、瞼の上と目じりにできた米粒大の腫瘍も大きくなってきて、美しいブルーグレーの瞳に覆いかぶさってきて、それを見るのがとても辛かったよ。
生まれて間もなく、藤沢の保健所で漁師のご夫婦に救出され、ご縁があって妹猫 心とともに、手のひらサイズ350gで我が家に来た藤子さん、貴女の若かりし頃は、超おてんば娘!だったね。
魔法のように家中のドアを開け、キャットタワーの高さでは飽き足らず、忍者の様に天井を駆け巡り、クローゼットに忍び込んだ貴女、仕事から帰ってきたら、トレンチコートの裏地はボロボロ、お気に入りのBALLYの皮のロングコートが縦縞のストライプ柄になってたっけ。今は、それもこれも、リビングフロア一面の爪痕と共に、大切な貴女の生きた証です。
adieu アデューだなんて、永遠の別れは言わないよ。
ふうちゃん、天国で一息して、生まれ変わったら、もう一度、我が家に来ておくれ。どんな形で再会が叶うのか、楽しみに楽しみに待っているからね。
気高く頑張って生き抜いた、中村藤子さん(愛称 ふぅちゃん)へ
永遠の貴女のbuddy(マブダチ) Cathy より
お世話になった病院のスタッフのみなさんから、寄せ書きと共に優しい色のお花が届きました。 今年1月に愛犬を亡くされた慶子さんより可憐で可愛らしいお花が届きました。
2007年5月に藤沢の保健所で5きょうだいで救出されました。右が藤子さん アイスブルーの瞳とシャム猫MIX特有の長い耳がチャームポイントでした。